飛鳥・古代史の道
第4回歴史街道ウォーク 飛鳥・古代史を歩く
- 日 時 : 11月7日(日)
- 集 合 : 近鉄大阪線阿倍野橋駅西口 午前8時30分
- 天 候 ; 曇り一時雨、のち晴れ、また曇り
【近鉄・大阪阿倍野橋駅に集合、案内役の高野さんより今日の行程説明を受ける】
【近鉄・橿原神宮駅で下車。ここからスタート】
【明日香村の豊浦寺】
593年推古天皇がここ豊浦で即位。603年に小墾田宮へ移る迄の宮で、その跡地を蘇我馬子が譲り受けました。豊浦寺は当初、飛鳥寺に次いで建立された尼寺で、飛鳥寺と対をなす寺と言われています。
【飛鳥路を歩く~飛鳥国営公園付近】
【飛鳥水落遺跡の説明案内を読むメンバー】
ここは660年、中大兄皇子が日本で初めて大がかりな水時計を作って人々に時を知らせた場所です。
【飛 鳥 寺】
飛鳥寺は、蘇我馬子が発願し496年の推古天皇時代に創建された日本最古の仏教寺です。近年の発掘により、創建時は我が国最初の本格的な寺院だったことが判明しました。東西と北にそれぞれ金堂を配し、外側には回廊をめぐらし五重塔や講堂もある、当時の蘇我氏の権勢を象徴する壮大な伽藍でした。今は、金堂跡地に本堂が建つのみです。
本尊の飛鳥大仏は、609年推古天皇が詔して鞍作鳥(止利仏師)に作らせた仏像
【蘇我入鹿の首塚】
飛鳥寺の前の田圃の中に花崗岩製の五輪塔が、上から4個目の水輪を逆さにして建っています。これは、蘇我入鹿の「首塚」です。
645年、歴年の蘇我氏による専横に憤り大王家(天皇家)へ権力を取り戻すため、中大兄皇子と中臣(藤原)鎌足は共謀して板蓋宮で蘇我入鹿を暗殺しました(「大化の改新」の始まり)。入鹿の祖父は蘇我馬子で巨大な「石舞台」古墳に埋葬されるほどの実力者でしたが、暗殺の翌日には父の蝦夷が、首塚の後ろの丘「甘橿丘」にあった自らの邸宅に火を放って自殺し、これにより蘇我体制に終止符が打たれました。
この数年後、都は、蘇我氏の里・飛鳥の地から生駒山を越え大阪の難波宮に遷都されました。
【石 舞 台】
天皇家を凌ぐ権力者だった蘇我馬子の墓と伝えられる場所。ずっと古くから、巨石(花崗岩)で作られた玄室が露出しており、その形状から「石舞台」と呼ばれています。上部の封土(盛土)が全く消失しているため築造時の墳形は、はっきりしませんが、当時の蘇我氏の威勢を示す大墳墓の築造工事であったことには間違いありません。
封土が剥がされ墓が暴かれたのは、天皇家が蘇我氏を滅ぼしたことを世間に示すためではなかったかとも言われています。
ボランティア・ガイドによる石舞台の説明に聞き入るメンバー
【石舞台近くの公園で昼食】
【マラ石に見入る紳士淑女の皆様】
以前は、真上に直立していたらしいのですが、現在はこの角度。
なぜか直立よりリアルですが、年月を重ねて角度が下がったと考えると、妙に納得・・・。
【亀 石】
奈良盆地一帯が湖であった頃、対岸の当麻(たいま)のヘビと川原のナマズが争った結果、当麻に水を吸い取られて川原は干上がり、湖の亀はみんな死んでしまいました。亀を哀れに思った村人たちがその供養のために造ったのが、この「亀石」だと言われています。
亀石は、以前は北を向き次に東、今は南西を向いていますが、将来、西の当麻の方向を睨みつけた時は奈良盆地は一円の泥の海と化す、と言い伝えられています。
【亀石には見向きもせず、その隣の自然野菜の店に駆け込んで物色する奥様方】
【鬼の雪隠】
元々これは古墳の石室の蓋の部分で、上部を覆っていた封土が流出して石が剥き出しになりました。やがてここより少し上の丘にある石室から、この蓋は年月と共に滑り落ち、この場所で止まりました。この古墳の主は分かっていませんが、大化の改新頃の宮家の一人ではないかと推定されます。後世の土地の人には、この大きな窪みのある石物が「鬼が使うトイレ」のように見えたようです。
《写真は「春日野奈良観光」サイトより「奈良公園 春日野・撮影 ウエダカンパニー」》
【日本の原風景を変わらぬように守る飛鳥の地】
【高松塚古墳と発見された時の「飛鳥美人」】
これより皆で、高松塚古墳壁画の修理作業室を見学しました。
これは文化庁が、秋の一週間だけ修理作業室を一般公開するもので、リーダーの高野さんが事前予約と手配に奔走してくれたおかげで、全員の見学が実現したものです(作業室は写真撮影禁止、パンフレットから転載します)。
千三百年の間、誰の目にも触れず塚の中で静かに佇んでいた「飛鳥美人」は、発掘されて世間の衆目を集めたのちの今は、その姿が黒ずみ変色し酷く傷んでいました。この「美人」を塚の中から世の中に連れ出した現代の私たちの責任として、我が国の技術の粋を集めて、彼女たちの姿を元の千年前の美しさに戻さねばならないと、強く思いました。
【見学の帰り道・近鉄飛鳥駅から大阪へ戻る】
●
●
●
大阪に戻って、難波日本橋の中華居酒屋で「大反省会」!
淀川マラソン組五人も守口から合流し、「オレは反省することなんか、なんもないぞ!」と言いながら、皆、料理を食べながらビールや焼酎や紹興酒をグイグイあおり、いつものように酩酊しました。
【大反省会が終わって帰りの電車にて】